末広まきこの政治理念


変革の時代に開く扉

末広議員へQ&A

キーワードは共生


変革の時代に開く扉 我思う、故に進まん

 

(1) 真の勇気とは一歩進むこと

私は平成7年7月の参議院選挙で「共生」をキーワードに、女性や高齢者がイキイキと生きる社会を創ろう、と訴えて、無所属で当選させていただいた。無所属といっても、どこかの支持団体が陰で支えているのだろうとささやかれたが、残念ながら、支持団体は何も無く、21年間のラジオ番組のおなじみ票がほとんどだった。選挙は、自発的に、勝手連として駆けつけてくれたボランティアに支えられ、運動の規模をはるかに超えて勝利した。

しかしながら、選挙や政治に精通した人がいないために、庶民から生まれた政治家を支えたり、守ったりする基盤は脆弱だった。基盤づくりのため輪を広げる活動として、「囲む会」という形で、20〜30人集会をコツコツと積み重ねてきた。しかし6年後の再勝利に向けて、大きな不安もともなっていた。

一方、国会での活動は、無所属議員で会派を結成し、議員の生命線である議会の発言権を確保することに努めた。参議院フォーラム、無所属クラブ、自由の会。わずか2年半の間に、3回も結成を余儀なくされた。何故か。

理由は、何度つくっても、参加者の政治的都合で、短期で退会されるからである。行く先を決める間の、つかのまの雨宿り。決まったら、さっさと出て行く。無所属議員で結成する会派は、発言も自由で、政党助成金をもらえないことを除けば、たいそう、居心地の良いところである。勉強したければ、一人でコツコツやれる。質問内容にクレームをつける人もいない。しかし、このほったらかしの自由は、かなりクセモノであることは、お察しの通り。「取るに足りない、小さな存在である」ということの裏返しなのである。

 

(2)「あなた一人で、どうしますか?」

当選以来、友人や支持者は、「本当にずーっと無所属でいるつもり?」「適当な時期に、どこかの政党に入らないといけないよ」と、私に忠告してくれた。どこへ私への信託36万票をお連れすればよいのか、これは大きな、大変大きな問題で、再三のお誘いのなかで自問自答を繰り返した。生涯無所属の一匹狼で、論陣を張ることは出来ないものか。やせても枯れても、花は花。そんなふうに自分を内から励ましてきた。

しかし、そんな葛藤も、もはやこれまでとあきらめざるを得ない状況が起きてしまった。平成9年9月。当時4人いた会派の仲間たちが、夫々、行く先が決まり、自由の会は発展的解散が確認された。

「あなた一人でどうしますか?」「もし、参議院議長がお認めになれば、一人会派でも認められる可能性はありますが、委員会その他、発言場面は、ほとんどなくなりますね」

冗談ではない。国会議員が議会で発言できないことになったら、何のために勉強し、何のために国会に居るのかわからない。自分を選んだ人たちに、何と言うのか。「実は私、国会で無視されています。発言の機会が与えられないのです」とでも言うのか。それはひどい制度だと怒る人がいるが、それが国会のルールであり、そこに行ったものは、何人たりとも例外は認められない。これは、市議会も県議会もすべて同じ仕組みである。いわば日本の民主主義の根幹なのである。

 

(3) 政局が動いた

私の選択肢は2つある。一つは、次の参院選挙まで一人でジッとしていて、新しい無所属議員と会派を組むか、2つめは、こんな空しい繰り返しから卒業して、政党に属し、残り3年半を落ち着いて政治活動に没頭するか。一つ目の選択は安易だが、結局離合集散を繰り返す。二つ目の選択は、非難ごうごう、ありとあらゆるパッシングが飛んでくる。精神的に耐え切れる自分であるかどうか。そして、私に一票ずつ投じてくれた皆さんの何割が、「ヨシ」と言ってくれるか。大きな決断を必要とした。

私の支持者は、どういう人々なのか。私は21年間、パーソナリティで、台本なしで人生を語ってきた。庶民の出身、末広まきこが国会へ行って、ラジオでのようにズバズバと言ってくれたら、胸のうちがスーッとする、こんな思いで、「ガンバレ」と応援してくれたのではなかろうか。地盤も看板も無い、一庶民の私が国会を目指すことへの応援をいただいたのだと思っている。

それが議会で発言できなくなりました、と報告したら、「才覚のない」「いくじなし」」「見そこなった」「そこをなんとか切り抜けてこそ、まきちゃんじゃないの」という、怨嗟の声が聞こえ、次には、「アーァ、やっばりまきちゃんでもダメだったか」と、深い失望に変わることだろう。断じて、その人たちに失望や絶望を与えてはならない。

私は、ぐるりと国会の中の他の会派を見渡してみた。私が入っていって政策的に整合性のあるのはどこか。3年半後の選挙時に、残っているのはどの政党か。

その瞬間、驚くべきことが起きた。最大野党がコナゴナに砕けてなくなったのだ。アッと驚く平成9年の暮れだった。

これは大変なことになった。政局が動いたのである。さながら1993〜4年のように。明らかに政界再編だ。もう無所属なんて言っておられない。全国会議員参加の関ケ原の合戦が近い。

私は冷静になって、2年半の私の政策実施に理解を示し、聞き入れてくれた大臣たちを一人一人思い浮かべていた。万博を「自然との共生」に変えてくれた、環境庁長官、通産大臣。愛知リハビリ自動車教習所を廃止から一転復活させてくれた、労働大臣、総理大臣。万博アセス前倒しに同意してくれた、環境庁長官。JR大曽根駅を福祉型に改良することを約束してくれた、運輸大臣。名古屋港に水深15メートルの大型岸壁を追加承認してくれた、運輸大臣。

政治が初めての私に、こんなにも大きな夢をあっけなく実現させてくれた。この感動は、決して忘れることは出来ない。私の政治への限りない情熱を、包容力豊かに受け止めていただいたことに、私は熱き感動を覚える。その自民党が、いま戦後最大の難局を迎えている。日本の金融不安と、戦後政治のシステム改革と財政改革がそれである。

 

(4) 自民党に新しい風を

「素晴らしきかな日本」が、「捨てちまいたい日本」になりかかっている。激動の改革期に、私はタイミング良く、国会にやってきた。仕事のハードさから言えば、運悪くになるが、改革に精一杯、庶民の声を反映させていけるのは自民党しかないだろう。決断したら、こわいものはなくなった。決断できずに、3年半後の私を想像するほうがゾッとする。− 発言権を無くし、死んでしまった私が、国会の中で生き永らえている −。

今後の私を見ていていただきたい。初心忘れることなく、自民党の中でキチッと発言してゆきたい。私の精神は変わることなく、自由な発言を、議決の前の議論で述べてゆきたい。そして、不安のない「素晴らしきかな日本」をもう一度創り上げるために、最大の努力を惜しまない覚悟でいる。今まで生きてきた通りの末広まきこであり続け、自民党に「新たらしい風」を吹き込んでい行きたい。

 

(5)政治の安定化が望まれる

衆議院は総理を出しているので、与党政権を取るか、取らないかが、大きな政治の目標となる。しかし、政権闘争に明け暮れていると、政情が不安定になる。そこのところをチェックし、補完していくために参議院は存在する。実際に「脳死と臓器移植法」では、脳死を人の死とするのは法律になじまないと、修正案を決議し、衆議院に送り返し、後に衆議院もこれに追随したところである。重いテーマに関しては、参議院ではこのように党議拘束をはずすこともある。

私は、自分の目でこんな参議院の姿を見て、少なからず安心している。参議院でも自民党が過半数を取ると、恐ろしいことがおきるのではないか、という心配の声もある。しかし私は楽観視はしていないが、そう悲観的でもない。むしろ、政治の安定化が、ここ2〜3年の日本には、大変重要なことであると考えている。

 

(6) 大きな議論の場で自分を磨きたい

自民党から、「うちで根を下おろして勉強してみないか」とお誘いをうけて後、どんなふうに勉強し、どんなふうに議論され、最終的に党の政策決定に至るのかを私なりに学習してみた。朝8時30分から、各部会に入って、官僚と激しい質疑が、フリー討議で行われ、政策審議委員会でも、自由な議論が行われる。発言内容はまったく自由。数回の議論の後、意見は収斂され、党の政策が決定される。無所属では出来ない大きな議論の場がここにある。法案が国会に提出される前に、党内で発言できるということは、実効性の高いことだと思う。

私はこれまで、無所属で一人で法案の勉強をし、承知のできないと思ったものは、本会議場で一人反対表明をして、ポツンと座っていたが、わずか2〜3秒の採決で、「賛成多数により可決」されてきた。なぜ反対かの意見を述べる場所もなかった。また、独学を続ける怖さは、いつか自分が、一人よがりな正義感で固まってしまうことである。私はこれまで出会った多くの人に、人生の教えを受けてきた。政治のキャリアが少ない人間にとっては、今後いろいろな方々に出会い、学ばせていただくことが大切なのではないかと思っている。

孤独から逃げたのではない。より大勢の集団の中に入れば入るほど、孤独感は鮮明になることも承知している。願いはただ一つ。政治家として自分を向上させたいからである。日本全国から選びぬかれて、集まってこられた議員の叡智に、少しでも触れることが出来て、私の本質を失わず、意見を申し上げて行くことが、皆さまへのご恩返しになると信じている。

あまりに突然だったため、皆様の驚きも大きかったこととご推測致しますが、1月12日からはじまる3年目の新学期までに、自分の進路を決めたかった。この点、重ねてお詫びを申し上げ、お許しを頂きたい。

 

(7)変革の時代に開く扉

21世紀を目前にして、より充実した安心できる世の中を創り出していくことが政治家の使命だと考えている。金融不安、老後の不安、雇用不安・・・世の中全体が、不安症候群に陥ったかの感があるが、少し冷静になって考えてみれば、国民の預貯金の総計は1200兆円と言われ、失業率もヨーロッパとは比べものにならぬくらい低率なのである。ただ、戦後日本のシステムは一度も変えられることなく今日まで受け継がれてきて、世界は冷戦時代を終え、経済大競争の時代に入り、日本は一時的に変化に対応しきれない状態でいる。「アメリカの金融が日本を襲う」−−−はっきり言って、マネー・ウォー(金融戦争)の幕開きだと思って良い。かつて黒船が日本の鎖国を解いたように、この度の金融ビックバンは、日本の金融市場の開放と規制緩和を求めているのである。

日本は金融市場だけではなく、年金のしくみ、税のしくみ等、国民の生活安定の根幹をなす部分を全て自己点検して、再構築しなければならない。いわば「平成の世直し」である。

2年半前、混沌とした不透明な政治状況の下、国会に送っていただいた私は、戦後日本が始めてむかえた、日本再構築という、ダイナミックな変革の時代に遭遇して、改めて、政治家は何を為すべきか、を私自身に深く問うてみて、「やってみよう、この国の将来のために、意見の言える場所に出て行って、率直に庶民の気持ちをぶつける勇気を持とう」という気持ちから、自民党へ入党した。政変の波に右往左往せず、「交通情報通信委員会」で、人・モノ・情報の流れをじっくり勉強して、効率的な日本経済のシステムと、安定した繁栄のために、頑張っていきたいと思っている。

日本の一大変革の時代だからこそ、自民党に英知を結集して、新たな国創りをしたいと考えている。支持して下さった県民のために、さらにそのご恩に報いるべく、さらに努力しようと、自己改革の端緒についたところである。

大きな波を受けながら、切磋琢磨し、自分を磨きたい。

どうがご理解をいただき、政治家末広まきこを、深いお心でお導き下さるよう、伏してお願い申し上げます。


末広議員へQ&A

 

Q: どうして事前に支持者に相談してくれなかったのですか。

A: ご相談したかったのです。自分一人で思案にくれているよりは、相談したかった。でも、相談するからには、36万人に平等に相談しなければならず、その手段を持っていませんでした。

 

Q: 末広議員の後援会はどうなっているのですか?

A: 選挙の前も、議員になってからも、組織は何もありません。私が維持する事務所が日常の業務を行ってきました。選挙の前も後も、勝手連そのままの姿勢です

 

Q:そんなことで政治活動や次の選挙態勢は十分だったのですか?

A: 決して十分とは思っていません。毎月20〜30人の囲む会や街頭活動を、暑い日寒い日に繰り返し、自分の身体を使うことで、少しでも輪が広がって行くことができないものかと、粉骨砕身努力してきました。

 

Q: もっと効果的に活動内容を知ってもらうことが出来なかったのですか。まきこさんはタレントだったのだから、テレビやラジオに出演して、しゃべれば良かったのではないのですか。

A: もちろん、マスコミで胸の内や、国会の様子をしゃべれることが一番良いのですが、マスコミは、他の政党から文句があるといけないからという理由で、決してその機会を与えてはくれませんでした。私としては残念な限りです。

 

Q: 自民党というのが意外だったのですが、これはどうしてですか?

A: 他の党がどうこうということはありません。むしろ、誰がどの党か、政党名すら正確に言えない状態です。私が選挙前からこだわったのは、参議院そのものでした。衆議院は総理を出し、政権を担います。それに対して参議院は政権闘争とは一線を画して、真に国民の立場から、衆議院の足りないところを評定する機能を持っているのです。それが「良識の府」と呼ばれる故縁で、私はそこに自分の残りの人生を捧げたいと思ったのです。離合集散に右往左往せず、どっしりと腰を落ち着けて、身を委ねられるのは、消去法で行くと、自民党が残ったのです。

 

Q: 議員辞職して、自民党でもう一度立候補すべきという意見もチラホラありますが。

A:確かに無所属の任期をあと3年半残していますから、3年半は静かに無所属でいれば良いという意見もあります。

しかし昨年の夏以来私がもっとも悩んだのは、会派が無くなって発言場所をなくした国会議員とは、何なのかという点です。私は歌を忘れたカナリアになりたくなかったのです。そんな惨めなところへ、私のお預かりした36万票を持っていくことは出来なかったのです。

 

Q: 今後、あなたを支持し、裏切られたと言う人々に、どう償っていくつもりですか。

A:私のいただいた36万票は、組織や団体の義理票は1票もない。誠に純粋な尊い票だと思っています。それだけに、私がいいかげんな気持ちで政治をやっているのではないことを理解して欲しいのです。大きな場所で切磋琢磨しながら成長するのを見守って下さい。決して目立ったところには居ないと思いますが、自民党は根を張って自己研鑚するには良い所だと思います。党内の発言は自由であるということもお聞きしています。無所属で6年、独学を続け、沈黙するよりは、大きな教えを得ると思います。

 

Q:今、万博に対する率直な考えは?

A:産業万博から環境万博へ、基本理念が変わったことを喜んでいる。また「環境アセス法を2年前倒しして、万全のアセスをやります」という政府の約束に期待しています。名古屋市内の笹島跡地を会場とし、バーチャル万博を行い、ワンスティ名古屋を実現することが、経済効果と環境保護両面で望ましいと考えます。

 

Q: 私たちに何を学んで、伝えてくれますか?

A: 伝えるべきは「愛と夢とロマン」。これは人間末広まきこが、ラジオ番組以来、すーと追い求めている永遠のテーマです。政治の場で学びたいのは、環境、教育、福祉、男女共生、そして情報通信ネットワークによる福祉ネットです。すべてに共通するのは、「人と人の助け合い」です。必ず、末広まきこらしい、オリジナリティを、自民党の中で発揮してゆきますので、暖かく見守って下さいますよう、お願いいたします。


  

高齢者・障害者との共生 〜ともに暮らしやすい社会を

 

  いま日本社会は、かつてないスピードで高齢化が進んでいます。また障害をもつ方々のなかには、依然として差別や偏見に苦しむ姿も見られます。
  これからは、高齢者や弱い立場の人が、いまよりまして暮らしやすい社会を作らねばなりません。
  行政は、ともすれはハコもの(施設福祉)でよしとする風潮がありますが、これだけでは本当の福祉は実現できません。福祉に対する意識改革により、高齢者や障害者との共生の道をさぐる努力が必要です。

こどもたちの共生 〜こどもたちがともに生きる社会を

 

  将来の日本を支える子どもたち。こどもたちをすこやかに育てることが、私たちの世代に課せられた、未来に対する責任です。
 しかし、学校ではいじめが多発しています。受験戦争が子供たちの心から思いやりや助け合いの心を奪い取っているためなのではないでしょうか。いまこどもたちにとって必要なのは、思いやりの心です。
  学校を広く開放し、高齢者・障害者・こどもたちが共存できれば、学校も変わるはずです。

自然との共生 〜自然環境を大切にし、共生できる社会を

  人間の身勝手で自然が破壊されていけば、人間の命すら失われてしまいます。
  大規模開発を見直し、大量消費を止めて、自然と共生できる暮らしをつくりましょう。そのためにも、ひとつひとつの開発計画について行政・住民・関係者がじっくりと時間をかけ、その計画が本当に必要なのか見つめ直しましょう。

アジアの中の日本 〜アジアの国々、外国人との共生を大切に

  これまでの日本は欧米のほうばかり顔がむいていましたが、これからはアジア諸国との共生をすすめ、世界平和へ積極的な役割を果たしていかねばなりません。敗戦50周年を迎え、きちんとした歴史認識に基づき、市民レベルでの草の根の交流が必要です
  また、在日外国人との共生も、大切にしていかねばなりません。同じ地域に住む仲間同士です。差別や偏見のない社会をつくっていきましょう。

見える政治、市民の政治

〜ひとりひとりの国民が参加し、ともに作る政治を

  国民を無視し、密室談合の候補者選び。企業や団体の利益誘導に奔走する政治家。これらが政治腐敗を招き、また国民の政治不信を生み出しています。
  政治をつつみかくさず、ガラス張りに。国民の目に開かれた政治なくしては、健全な民主主義は成り立ちません。
  なにはともあれ政治の透明化こそが、現在の混迷状況を打ち破る大きな力になるはずです。

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